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気功は「こうであるべき」という先入観を消してくれる

本日後半の投稿は、前回の続きである「こうであるべき」という固定観念を拭い去る方法である。

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詳しくは前回の記事を参照していただきたいが、人は多かれ少なければなんらかの形で「固定観念」を持っている。

つまり「こうであるべき」という物の捉え方のことを言う。

この、こうであるべきを拭い去ると、あなたの願望はサッと叶ってしまったりするのだ。

これを実現するための法として「気功」がある。

この投稿では、気功があなたの固定観念にどう影響していくかについて詳しくお話していこうと思う、

目次

■気功は適当にやれ

私が施術を行なっていてとみに思うのが、本当に「勤勉」「真面目」であると思う。

「いや私はそうじゃないな」などと言う人がいるかもしれないが、私の施術に「変わりたい」「自分を変えたい」と申し込んでいただいた時点で、これが該当すると思うのだ。

だから気功でもその他の超能力でも、施術を終えると通り一辺倒の説明をするわけだけれども、私が言う一つ一つのトレーニングに対し超真面目に取り組み、それが元で疲れてしまったりしているのだ。

これでは本末転倒。

救われたくて気功を学んでいるのに、逆心身を疲労させては元も子もないのだ。

だから私はこのブログも、そして様々なところでも口をすっぱくして「リラックスしろ」「真面目にやるな」と伝えている。

そう、気功は真面目にやってはいけないのである。

これは気功の技術そのものに由来するもので、真面目になり過集中になればなるほど、「気」とはほど遠いものになってしまう。

なぜかというと、気は出し入れしながら自分とその他外界を結んでいくものであって、真面目が行き過ぎて硬くなったりすると、それは独りよがりとして終わってしまうからだ。

だから気功は「適当にやる」ことがとても重要なのだ。

この気功が生み出す「適当」が、固定観念を拭い去る秘密になっている。

■人は365日24時間固定観念に縛られながら生きている

人は四六時中固定観念に縛られている。

挨拶の仕方、食事の作法など大きなことから小さなことまで「ルール」に縛られているのだ。

特に日本では、古くから「華道」「茶道」「武道」といった道の精神が色濃く日常生活に反映されている。

つまり日本においては「形」がとても大切なものであるのだ。

これらの固定観念はどんどんと大きくなり、結果的にあなたの息苦しさに繋がっているのだ。

そして形にこだわりすぎると、中身を軽視し始める。

これはどういうことかというと、例えば仕事に例えてみてみよう。

よく大企業に多いとされているが、「顧客に対してどんなことをするか」が重要ではなくて「どうやって商品を作るか」「どう上層部に報告するか」といった本来の最終目的とは異なる過程、形やルールばかりを重視するようになるのだ。

こうすることで、本当はいらない書類を作るのに何日もかけたり、必要のない根回しを行なって体裁や形を整えるのだ。

だから形に囚われすぎる人は、上達の速度が遅いことが多い。

本来の目的以外のことに気が集中してしまっているからだ。

これは全くもってもったいないものだ。

だからこそ、気功の適当さによって、この固定観念を取り除いてみてほしいのだ。

■「こうであるべき」の正体とは一体なにか?

結論として、「こうであるべき」という固定観念の正体とは「緊張」である。

形とは所詮人間が後から作り出したものに過ぎない。

人間は元来自由に生きることができるにも関わらず、文明のいたずらか、わざわざ形にハマるようにルールを作り出してしまっている。

だから人間は常に緊張しているといっても過言ではない。

様々なルールに従いながら行動することは、本来不自然な行為であり、不自然とは緊張を招くからだ。

気功を学ぶことによって固定観念が拭えるというのは何もこじつけじゃない。

「気功」「適当」にやって「リラックスする」ことは、人が忘れてしまった本来の自然さを取り戻す行いであると考えられるからだ。

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