中国には(正確には漢民族)、「道教 タオイズム」と呼ばれる宗教がある。
私が教える超越術の源流である「仙道」もこの道教の思想によって作られたものだ。
道教とは、簡単に説明すると私たちが生きるための真理を追求した教えである。
『しかし、そんなこと言っても世の中にある宗教は全て“生きるための真理”を追求したものなんじゃないの?』
まさしくその通りだ。
だが、道教とその他の宗教の違いは、「二つの物事を一つの物として考える」という点である。
つまり「二元論」という思想を持つことが特徴なのだ。
道教の場合は、「宇宙」と「私たちの人生」という一見無関係に見える事柄に真理を見出そうとしたのである。
もともと道教は、「老子」と「荘子」という、中国が生んだ不滅の思想家の教えを根本としている。
老子も荘子も紀元前に活躍した人物である。
大昔の人物が、すでに宇宙との根源的な関係性を見抜き、それを体系的にまとめていたというから恐れ入る次第である。
しかもその真理は深淵で、非の打ち所のない完成度を誇っているのだ。
だから、現在騒がれている「アセンション」や「引き寄せ」、その他「オカルト」でさえ「道教の教え」で説明することができ、効果を体感することができるのである。
■「道 タオ」は自分の中にしかない
「道 タオ」とは、私の個人的ニュアンスから言わせてもらえれば「生き方」とでもなるだろうか。
特に現代人はこの生き方に疑問を持ち悩む者も多いだろう。
それはなぜかというと、生き方が定まっていないからだ。
昭和の時代、人の生き方はある程度定まっていた。
こんな仕事について、こんな家庭を持って、こんな物を買って、こんな話をしていればある程度幸せ、というようなモデルタイプが確率されていたからだ。
しかしこれは冷静に考えれば「異常なこと」なのだ。
なぜなら「生き方」とは、誰かに完成されたものを教わるなどということができないからだ。
道教でも「道 タオ」は、「学ぶことはできても、教えることはできない」としている。
それはもちろん当たり前のことで、生きるための真理は学ぶことができても、それは十人十色。
人によって感じ方も価値観もそれぞれであるならば、その「道 タオ」も人それぞれであるからだ。
私がご紹介する「超越術」も、もちろん道教の教えが息づいている。
しかしそこで触れているのは道教の教え、いわば原理の部分で、限りなく完成形に近い未完成なものであるのだ。
それを完成させるのはもちろんあなただ。
私も方々手を尽くし、一生懸命この言葉にならない真理を伝えようとしている。
しかし「言葉として出せば、それはたちまち“道 タオ”ではなくなる」という言葉があるとおり、完成したものを提供することは不可能なことなのだ。
「道 タオ」を教えることは、それだけ微妙なニュアンスであるから、まさに「生き方」を教えているに等しいのだ。
■「道 タオ」の二元論システムがあなたを幸せたぐり寄せる
先に述べたように、「道 タオ」の特徴的な教えとして「二つのことを一つとして捉える」という二元論がある。
実はこの二元論のシステムを理解すると、あなたが人生の中で悩まれている問題が解消される可能性がある。
それだけ深淵なる教えなのだが、とても簡単に理解することができるのが嬉しい。
ここでは、このブログでも幾たびか説明してきた「太極図」を用いて再度説明していこう。
さて、これは毎度おなじみの「太極図」である。
白い勾玉は「陽 ひかり」を、黒い勾玉は「陰 かげ」を表している。
これは全く真逆のものが組み合わさって「一つ」の図形を作りだしている。
つまり「二元論」を分かりやすく表したデザインになっているわけなのだ。
この図が生まれた時に「まさに道教にうってつけ!」とばかりに気に入られ、とうとう道教のシンボルとして扱われるようになった。
この太極図は、よーく見ると目がついた「魚」のように見えてこないだろうか?
中国では、太極図ではなく、「陰陽魚図」とも呼ばれている。
そもそも、「道」という漢字が「始まり」と「終わり」という二つの世界を表現している。
道の「しんにょう」の部分が終わりを、道の「くび」の部分が始まりを表しているのだ。
話は横道に逸れたが、悩みに悩み、心が深く傷ついてしまう人もこの世の中には多いが、その悩みのすぐ隣には不幸せの大きさと同じぐらい大きな「幸福」が待っている、ということを強く申し上げておこう。
これは「道 タオ」の教えで、すなわちそれは「宇宙」の教えであるからだ。
私は、具体的にあなたの悩みを取り除くために、この「道 タオ」の教えをふんだんに取り入れた「超越術」をご紹介している。
「道 タオ」は完成形を教えることは出来なくても「学ぶことはできる」。
人生という「道」に迷われたあなたに、今必要なものは「道 タオ」なのかもしれない。
