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人生に絶望した人間が「仙道」に出会うまで

さて本日は昨日の投稿の続きとして「仙人生活を送ることのメリット」についてご紹介しよう。

【関連記事】「仙人」となることのメリット

「仙人とは何か」「どんなことをやっているのか」については、上記の昨日投稿した記事を参照してもらおう。

ここでは、私の経験を元に仙人生活の凄さを少しご紹介していきたいと思う。

目次

■何をしてもうまくいかない人生を変えたのは仙道思想だった

私も生まれた頃から仙人だったわけではない。

元々は多くの人らと同じく世俗で暮らし、社会生活を営んでいたわけだ。

その業種の超大企業も経験し、ハタから見れば順風満帆な人生に映ったかもしれない。

しかし、私の人生はもうすでにその時点で破綻していたのだ。

私は、子どもの頃から不器用な部類の子だった。

失敗ばかりしていて、成功した試しがなかった。

両親は、そんな私を厳しく躾けていたし、成功できない私に失望もしていた。

そういう具合で、人生において常に高いハードルを不器用ながらも一生懸命にこなしていった。

しかし、いつもそんな私の意識の奥底にあったのが「不満足」なのだ。

何かを一生懸命、それこそ寝食を忘れて血反吐を吐くレベルで頑張るのだけれど、いざ完成してしまうと全く興味が湧かなくなってしまう。

『ああ、また完璧ではなくなってしまった』という具合で、何をしても、どんな成果を出しても決して満足することはなかった。

そこにはいつも、見えないハードルが掲げてあって、超えれば超えるほどまた高くなってしまう。

何事もそんな感じで他人に求められるまま、ハードルを超えていく生活を延々と繰り返してきた。

ただ、そこには「焦り」「空虚さ」しかなかったのだ。

『自分は何のために生まれて何のために生きるのか』まさにやなせたかしよろしく、自分の好きなことが全く見つからず、自分の人生をただ生かされていると感じていたのだ。

社会人となり、ソリの合わない人らとのコミュニケーションに消耗し、作っても速攻で処分される書類を何時間もかけて作成し、どうにも通じ合えない上司にゴマを擦ってもなお、自分の好きなことは見つからなかった。

そう、まさに人生に絶望していたのだ。

そんな私を救ったのは、何気なく手にとった「仙道」の本だった。

こんな世界があるのか。

私は素直にそう関心したのだ。

私は子どもの頃から、霊障に悩まされていたが、それを周りの人らに言うことは、また自分が劣った人間として見られてしまうのではないかというと不安から、そういったことを隠していた。

そういったことを思い出した時にふと、私は目の前に見えるものしか見て来なかったことに気づいたのだ。

「お金」「出世」「恋愛」「友情」

全部目の前にあるハリボテだけしか見ることはせず、なぜ自分がお金を手にできるのかとか、なぜ目の前の人がこんな振る舞いをするのかとか、全く見えてこなかったのだ。

私の生きづらさの原因は「物質しか見てこなかったから」なのかもしれない、そう直感したのだ。

仙道で扱う「気功」は目に見えない技術だ。

私はこの気功が、自分の人生をもう一度スタートさせてくれる最後の切り札になると信じ、それにのめり込むように修行をはじめていった。

さて、自己紹介がとても長くなってしまった。

私は文章を短くまとめることが、とても下手らしい(笑)

少し焦らす形になってしまうが、あまりダラダラと書き連ねても読むのが苦痛になってしまうだろう。

急な変更で大変申し訳ないが、本日の夜の投稿で私の経験を元にした「仙人生活の凄さ」を投稿していくことにしよう。

こういう身勝手なところがいかにも「仙人」と思われてしまうかもしれないが、一つお付き合い頂ければ幸いである。

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