前回の投稿では予告として、「裕福な家庭の子がお金持ちになれない」という前提をお話した。
家が裕福で、大学卒業までは何不自由なく育ったが、いざ社会人になったら貧乏になってしまった、という人は案外多いのだ。
それではなぜ、裕福な家庭に生まれたにも関わらず、その後貧乏な生活を強いられてしまうのかについて論じていこうと思う。
■裕福な家庭の子は親の努力を見ていない
裕福な家庭に育った子に絶対的に足りないものは、親がどれだけの努力で資産を築いたのか、どれだけの努力が必要なのか、という「力のかけ方に関する視点」なのである。
つまり、どれだけ努力すればこれだけの資産が作り出せるのか、という視点が欠落しているのである。
裕福な家庭の子は、まあ家庭によるが、必要であれば与えられる環境があった。
つまり、目の前にある現実がどれだけの犠牲の上に成り立っているかが理解しづらいなのだ。
そうすると「短絡的な思考」が形成されることになる。
つまり、お金をすぐに得ようとしてしまうのだ。
だから、どれぐらいの努力をどれくらいの方向にすればお金を稼げるようになるのか、という視点がないのである。
これは、あまり家庭内で話されることはない。
親は家族のために努力をすることを前提だと考えているために、あまりそれについて語ることを卑しいと感じている節もあるからだ。
だから、こと日本において、お金を稼ぐための努力や思考というものが、親から子へ継承されずらいのだ。
例外として、一家で家業を行なっているような場合は、仕事を通して努力の量や美学を学ぶことができるのである。
反対に貧乏な家に育った子は、そもそも親が努力の量と方向性を知らずに大きくなってしまった可能性が高い。
しかし裕福な家庭の子よりもお金持ちになれる可能性を秘めている。
なぜならまだ見ぬ「大金」や「成功」への想像力が、自然とお金を稼ぐための努力に向かわせるからだ。
■努力は必要である
だからお金を稼ぐには、「ラッキー」だけではなんともならない現実がある。
あなたが本当に変わりたい、本当にお金持ちになりたい、と考えるのであればもう一度努力の方向性について考えてみるべきなのだ。
どうしてもお金が稼げない、何をやってもうまくいかない、というのはつまり「親の人生の一部」にあなたがまだ組み込まれているからだ。
親の価値観の中に囚われていると、小さな頃からの経験上、すぐに何かを成したい、早く結果が知りたい、という「努力の部分」をすっとばしてしまいがちになる。
だから親の因果から離れ、あなた自身の努力を行うことで、必ず「あなただけの資産」を構築することができるようになる。
これはサラリーマンだからとか、雇われの身だからとかは一切関係なく、むしろ今のグローバルな世の中だから、あなたが努力すればした分だけお金を稼ぐことができるのだ。
このあたりは私の「ビジネス仙道」の範囲になるので、興味がある人はご相談されてほしい。
今現在も数名のビジネス仙道生を抱えているが、順調に進んでいる。
あなたはまだまだ出来るはずだ。
そしてその努力は必ず身を結ぶことを約束する。
これからしばらく「お金」について投稿を行なっていこうと思う。