ここ数日バタバタとした日が続いていてブログを更新することができなかったが、なんとかひと段落したので前回の続きを投稿しよう。
前回は、『名前で人生の方向性が決まる』といった内容であった。
なぜ私がこんな風に断言できてしまうかというと、それはおいおい例を出しつつ説明するが、一言で言ってしまえばそれは人が「言葉の力」に無意識のうちに操られているからなのだ。
これは何人たりとも逃れることはできない、高度に発達した脳を持つ人間ならではの宿命なのだ。
言葉が持つ強い力を知った者は、逆にそれを悪用する場合がある。
そうすることで人は、なんの疑問も抱かずに操られてしまう。
いわゆる「洗脳」である。
私たち人は、個人個人「名前」という、個を識別する言葉を持っている。
すでにそのよな形で身近に言葉を携帯しているからこそ、予めその危険性について知っておくことで、色々な場面で主体的に行動する手助けとなると思い、本日の投稿を執筆しようと思ったのだ。
まあ、洗脳なんて物騒なことを知りたくない人でも、言葉の持つ魅力をご紹介するといった側面もあるからとても楽しめる内容になっていると思う。
それでは一つずつ説明していこう。
■キラキラネームという人生の方向性
前回の投稿でもご紹介したが、ここ数年前からキラキラネームと呼ばれる珍しい名前を持つ子供が増えてきたという。
名前に使える漢字というものは、常用漢字・人名漢字含め、2998字程度となっているがそれ以外は結構自由、明らかに社会通念上から逸脱した名前、または「命名権の乱用」にあたらなければ、後は各自治体の判断に任されるのである。
つまり1993年に話題になった、「悪魔くん」などの名前でなければあらかた受理されてしまうのだ。
こういうちょっと曖昧な背景と、自由な民主主義の社会であるから、子供に対していささか珍しい名前をつける親も出てきたわけだ。
ここでいう珍しいというのは、今の世の中から見ての話だから、これから50年後とかにはキラキラネームが案外普通になっている可能性もあるから「現時点で珍しい名前」ということにしておこう。
まあ、各家庭がどんな名前をつけようが知ったこっちゃないが、前述のように名前というのは私たちが日々携帯する言葉にあたる。
そんな言葉からもたらせるイメージによって、人が動かされるとしたら、キラキラネームの子供たちはどのような行動を行うのだろうか?
ここで一つ面白い都市伝説をご紹介しよう。
こうしたキラキラネームをつけた子供たちが「事件・事故」に合いやすいというのだ。
【関連記事】キラキラネームの子どもは深夜に「救命救急センター」に来る割合が高い?
これは、日本赤十字社和歌山医療センターで行われた調査だが、救命救急、いわゆるERに運ばれてきた子供たちの名前を調べた結果、キラキラネームと判断された子供の割合がそうでない子供よりも多かったという。
これは統計学的観点から考えても非常に面白い考察である。
子供たちがどのように育っていくか、というのは外部環境によるところが大きいが、その中でも「名前の持つイメージ」を無意識に自分自身に刷り込みながら、または親がそのように刷り込みながら生活することで、結果的に他人から見て名前通りのイメージの人間に育つ可能性があることを示唆している。
つまり私たちは「名前」に合わせるように生きている可能性があるのだ。
■古くから存在した名前の影響力「諱 忌み名」
名前はこんなとおりに個人個人が持つパーソナルなアイテムで、名前そのものが持つ影響力というのはとても大きいのである。
特に古の人たちはその影響力を多分に理解し、それを効果的に使う方法を研究していたのだ。
アジア圏を中心「諱」「忌み名」という、名前にまつわる文化があった。
その昔人は、人の名前それ自体が、この世と霊界を結ぶ橋渡しの役割をすると考えていた。
諱とは「いむ」と読むが、言葉にすることをはばかられるといった意味合いを持っている。
太古の人は、死者を名前で呼ぶことを避けていた。
そういった経緯から、名前は生前と死後で2つ生まれることになった。
生前は私たちも持つ「名」、そして死後は「諱」「忌み名」といった具合である。
今となっては珍しい風習になってしまったが、分かりやすい例を出せば『三国志』に出てくる「諸葛孔明」である。
日本的に言えば「諸葛」が姓で、「孔明」は生前の名ということになる。
それでは「亮」はというと、これが諱なのである。
諱は、生前に軽々しく呼べるものではなく、親や主君といった自分よりも目上の、支配層にあたる人らのための呼称であったと言われている。
諱は、本来死後の世界のための名前であり、それを生前に他者によって呼ばれることで、主従関係またはヒエラルキーが生まれると信じられてきた。
つまり諱を生前に他人から使われることで、「他人の奴隷」のような関係になってしまう、といっても過言ではないのだ。
現代人にとっては、名前ぐらいで大げさなと思うかもしれないが、今のようにインターネットもない情報伝達はごく限られた範囲で行われてきたはずなので、諱のような風習を信じ込ませることは、現代よりもはるかに簡単だったはずだ。
だから古い時代には、風習や迷信がたくさん生まれたのだ。
■まだまだある「作られた意味づけ」
このように名前以外にも、お偉い方々によって勝手に作られた意味づけが私たちの周りにたくさん存在する。
その最たるものが「暦 こよみ」ではないかと思っている。
暦は、その成立自体に「洗脳」が隠されている稀有な例である。
これをまとめることはまた少し時間がかかりそうなので、次回の投稿でお話しようと思う。
次回の投稿では、なぜ人が言葉によって操られてしまうのか、といったことも含め大切なことをお話していこうと思うので楽しみにされてほしい。
■おわりに
大好評をいただいている。
何かというと新メニューとして発表した『超越術 覚醒羅針盤』のことである。
この度もしっかりとしたエビンデンスに加え、モチベーションに関する一般にこれまで信じられてきたものの批判、また新しい見解など、「覚醒」に関する内容がてんこ盛りになっている。
例えばこれがどういった人に対して特に有効かというと、頑張らないといけないことを頑張れない、まあ受験生のような人にとって凄くいいかもしれない。
つまり「勉強」をしなければならないのに、「机に座る」ことができない人にとっては超朗報だろう。
同じく仕事でだって使える。
やらなきゃいけない仕事を、頭では分かっているのにできないという人にも効果的だ。
ぜひ多くの人に試していただきたい内容になっている。