よく、『気功で頭はよくなりますか?』とか『絶対今度の試験でいい点とらなきゃならないんです』とか、そういった相談を受けることがある。
まあ、気功で頭がよくなればめっけもんだろう。
それじゃ気功を学ぶと頭はよくなるのだろうか?
結論から申し上げると「なる」とお答えすることができるだろう。
本日の投稿はそういうわけで、『頭をよくする気功術』についてお話をしていこうと思う。
まず最初にお断りをしておかねばならないのが、「頭の良さ」の定義である。
つまり私とあなたで「何をもって頭が良いとするか?」を定義づけておかねば、話がずっと一方通行になってしまう。
この投稿でお話する頭の良さとは、記憶力や学力偏差値ではない。
じゃあ何を持ってよしとするか、それを順にお話しながら結論に迫っていこう。
■人の合理性が非合理性を生んでいる話
このブログでも何度も繰り返し説明しているが、人というのは「損をしたくない生き物」であることにかわりはない。
損をしたくないから、朝のニュースの占いの行方を気にしたりもしてみるのだ。
損に反応するのは、動物の「危険」を察する本能的な行動の一つである。
つまり、人間は損をしないために数学の公式を覚えたり、英語の文法を覚えたりといった具合に、学問を学んでいるのである。
目指すところなく闇雲に動くよりも、ある程度目標が定まっていた方が動きやすいのは当然である。
だから人は本来、「損をしないため」に学んでいるのだ。
しかしここでちょっと考えておかねばならないことがある。
それは「人が損をしたくない生き物である」という点である。
なんだか禅問答のようになってきたが、これは非常に重要な点である。
人は損をしたくないがために、あれやこれやと合理的な選択に身を固める傾向にある。
例えば起業を目指す人の中には、いつまでもその一歩を踏み出さず、セミナーに参加したり教材を購入したりといったいかにも合理的で進歩しているような選択をする者が多い。
しかし、本来であれば「起業することが目的」であって、「勉強することが目的」ではないのだから、合理的な選択をしていると信じながら、実際は非合理な選択をしているといった具合なのだ。
これもひとえに、「人が損をしたくない生き物」であるがゆえの悲しい事実なのだ。
こういった人間の非合理な行動を正すために生まれたのが「行動経済学」である。
「プロスペクト理論」や「アンカリング効果」「フレーミング効果」といった心理学をベースにした様々な行動経済学モデルが示されているが、結果的に「人の損をしたくない」という感情を変えることはできないので、人は今日も●●理論や●●効果といった雑学を一生懸命に記憶の中にせっせと溜め込んでいるのだ。
人間とは実に悲しき生き物である。
このように、人間は合理的に見えて実に非合理的な選択をする生き物であるし、頭の中には使わない選択肢でいっぱいなのだ。
実はこうした状態を正してあげることが、「頭をよくする」方法なのである。
それを実現するのが気功であり、本日ご紹介する「頭をよくする気功術」なのである。
それでは具体的にどのようにすれば気功で頭がよくなるのだろうか?
私が考える「頭のよさの定義」と併せてご紹介していこう。
■頭の良さとは「勘」にある
私が考える頭のよさというのは、すなわち「勘」である。
そしてそれは気功を学ぶことで鍛えることができるのだ。
読者の中には、『な?んだ』と思った方がいたと思うが、実はあなたの頭をよくするために非常に大切なことなのだ。
例えば仕事をしていて、パッと浮かぶ解決策というのは勘である。
いちいち学校のテスト勉強のように、『次の仕事は●●っていう単元から出るからよく予習しておけよ』なんてことあるはずないのだ。
だから人は、日常的に勘によって答えを導きだしているにも関わらず、そうした勘を養うことをせず、合理的な学びばかりを重視しているのだ。
損をしないために、来たるべき未来に向けて合理的な学びをすることだって重要だが、それだけじゃなく、勘を養うことにも意識を向けてみるべきなのだ。
そんな勘を養うためには、気功がもっとも適しているのだ。
■気功の適当さが勘を養う
いつもこのブログでも、『気功は適当にやんなさい』と教えている。
実は「ボーッとして」「パッと答えを導き出すこと」で勘を養うことができるのだ。
パッと答えを導き出すには、心の中、すなわち心象にひらめいたキーワードをキャッチする必要がある。
それには心の中を真っ白い一枚のキャンバスのように、整理しておかねばならない。
これはまさに老子いわく「無用の用」であり、中身がないからそこに物を入れることができるのである。
そうした状態に自身を持っていくには、「雑念」と呼ばれる余計なものを極力排除しなければならない。
ここでいう雑念とは、日頃溜め込んだ合理的な選択であったり、その他あなたを悩ませるような様々な問題である。
そうした雑念から一度離れ、心を無にした時に、パッとあなたの前に現れた答えこそ、今のあなたに必要なアイテムなのである。
こうやって自分自身の勘をどんどん鍛えていくようにすると、これまでむやみやたらに溜め込んだ様々な合理的選択も最小限で済むようになる。
つまりとても身軽になるのだ。
もちろんこの方法は、学校のテスト勉強にだって応用することができる。
詰め込んだ様々な選択をいかに取り出していくかというのは、勘がなせる技であるからだ。
本当に必要なものを、すでにあなたは知っている。
ただそれを取り出せるようにするには勘を養わなければならない。
勘はあやふやな概念だが、人は勘によって生活の中のあらゆる選択を行なっていることを忘れてはならない。
そう、勘を鍛えたものが、本当の頭の良さを手に入れるのである。