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吃音の治し方

本日から12月。今年も残すところあとひと月になった。

やり残したことはないだろうか?

私も後ろを振り返れば、決して自分を律し切れたと胸をはって言えるものではない。

だからこそ大切なことは「今から、またスタートすれば良い」と思い直すことなのかもしれない。

それは自分のタイミングで良いだろう。

どこかで自分をリセットし、そして再スタートを切れる。

そうした気分の作り方について自分に合った方法を考えていただきたい。

多くの人にとってそれが「月のはじめ」であったりするのかもしれない。

皆さんにとって最高の月のはじまりになってほしいと考えている。

さて、投稿に間があいてしまったために少し内容がおぼろげになってしまった感もあるが、テーマは『吃音の治し方』である。

長かかったテーマも本日ようやく終了となる。

それではここで少しおさらいをしておこう。

【関連記事】「吃音」と「アガリ」「イライラ」

【関連記事】吃音と「記憶」「心拍数」

これまでは吃音についておおまかな理解にとどまっていた。

例えば「吃音の原因になるのは何か?」ということだったり、「吃音という運動のメカニズム」についてだったりをお話した。

そうして定義づけした中で、私の見解として「心拍数」「記憶」を使った対症法をおすすめしたいというところで終わったのだ。

そう、対症法の鍵は「心拍数と記憶」なのである。

ここまで読んでみて『私には関係ないや』と思ったあなたはもちろんこのまま記事を離れてほしい。

ただ、吃音には「発達性吃音」「獲得性吃音」があり、特に獲得性吃音は成人になってからストレスが起因となって起こるものである。

つまり人ごとではないのだ。

つまり「イライラ」「あがり症」「極度の緊張」などを経験されている方は要注意してほしい。

そうならないためにも、超越術秘伝の対症法を覚えておいてほしいのだ。

目次

■心拍数を意識しろ

吃音は「危険に対する反応だ」と考えている。

つまり、目の前に起こる自分にとって嫌な出来事に対して極度に緊張するため、体が身構えるという反射を行なっていると考えることが妥当なのではないだろうか?

誰でも目の前に見るからに危険なヤバイものがいたら、恐怖のあまり浮き足立った行動を取るだろう?

吃音はそうした状態が常態化した、つまり無意識化してしまったものであると言えるだろう。

危険に際した時、人間は誰でも「心拍数」が上がる。

鼓動が早くなり、緊張していることが自分でも分かるのだ。

この心拍数をコントロールすることが、まず一つ目の対症法である。

人はよく緊張した時に「リラックスしなさい」と教えるが、じゃあ会議の途中にお言葉に甘えて布団を広げて眠りにつくことなんて絶対できないだろう。

本気でこの「リラックス信仰の信者たち」の言っていることは理解に苦しむ。

『ではリラックスとはなにか?』

という問いを出すと、途端に口ごもってしまう。

本来は、このリラックスを「誰にでもできるように手法化すること」がもっとも重要になる。

ここでは「心拍数に気づく」という方法を取る。

普段、自分の心拍数に着目しているよという人はどれだけいるだろうか?

ほとんどいないはずである。

なぜなら、心拍数は自律神経の働きによってコントロールされているわけで、自分でいちいち意識する必要がないからである。

この心拍数に気づくことは、自分が「緊張していること」に気づく良い機会となる。

普通であれば、目の前に起こる緊張によってパニックになってしまい、冷静になる機会をここで失うが、心拍数を抑えることに集中すると、意識が「目の前に起こる緊張」から「自分の体」へ移るので、パニックにならずに済むのだ。

心拍数の抑え方としては、自分が最も緩んでいる時の心拍数を知ることが重要となる。

例えばそれはお風呂に入っている時や、就寝前にベッドに横たわっている時など様々である。

そうした個人個人でベストな心拍数を覚えておいて、できる限りその心拍数に近づけるようにする。

吃音は、「一人で喋る時には吃音しない」ということが往々にしてある。

だから、できる限り一人と同じ体感を作り出すことが肝要なのだ。

■記憶を書き換える

記憶を書き換えるとは、いったいぜんたい何を言っているのか?と疑問に思うかもしれない。

記憶を書き換えられれば嫌な記憶も消えるのにな、と考える人は大勢いるだろう。

それじゃあ、記憶は書き換えることができるのか、と問われれば「出来る」と答えることができる。

この方法を完全にお伝えするには、いささか紙面が必要になるので、時間を見つけて詳しくまとめることにしたい。

今回は、そのざっくりした方法をお伝えしておこう。

まず、なぜ吃音の治療に記憶が必要になるのかというと、危険な状態が記憶に深く刻み込まれているからである。

人間は初めて見た・初めて触れたものにもできる限り理性的に対処するために、目の前に起こる出来事に対して近似的な記憶をひっぱり出して「これは“あれに似ている”」と認識させるのだ。

だから、実際は異なる場面でも、元に緊張した記憶がひっぱり出されて「そうだ」と認識させれば途端に緊張を覚えてしまうのである。

このような記憶が何のきっかけで脳のある部分からひっぱり出されているかというと、「言葉」である。

目の前に起こる様々な緊張の素にはそれぞれ「言葉」「名称」がつけられている。

そうしたものが全て記憶にしまってあって、それらが取り出されることで嫌な記憶に早変わりする、という仕組みなのだ。

だから、この取り出しに際して、出来るだけポジティブに自らの言葉を捉えなおさなくてはならない。

以下にとてもざっくりした形ではあるが、吃音の対症法について流れを書いておこう。

【吃音をする場合】

①上司から怒られた

②反論をする時に吃音をしてしまう

【吃音の対症法】

①上司から怒られた

②心拍数を落ち着かせる

*喋ることはしなくて良いので冷静に状況を捉える

③「上司から怒られている」→「人が何か言っている」→「ただの騒音じゃん」という具合に言葉を捉え直す

このように、目の前で起こることの捉え直しが、結果的に緊張から解放することに繋がるのである。

■人は「自らに暗示をかけている」

これについても後に詳しく説明する機会を持ちたいと思うが、人は「自分で自分に暗示をかけている」のだ。

これは人の発話のメカニズムを例に取れば明らかである。

例えば人は、発話しながらそれを自分の耳で聞き、また発話をするという繰り返しをている。

つまりアウトプットしながらインプットしているのだ。

このインプットの過程で、上記したような緊張のイメージが記憶からひっぱり出されると、途端に吃音してしまう。

だから「特定の発話でつまづく」と認識している場合は、根気強くそれを正すという作業も必要になる。

良い循環を作りだすためには、良い見本を自分自身に聞かせれば良い。

一人になった時に緊張から解き放たれた状態で、良い見本を自分の耳に聞かせてあげてほしい。

■おわりに

吃音とは、過去に受けたなんらかの「緊張」「嫌な記憶」「トラウマ」が原因になっていることが多い。

それらを取り除いていくには、いささか時間がかかるものだ。

なぜならこれは個人個人で異なる根深い問題だからだ。

だから自宅でのイメージトレーニングといった地道な歩みも必要になる。

ここまで読まれた方は、これらの対症法が吃音に限定されるものでないことが分かっただろう。

イライラや緊張、あがり症などはどこでも誰でも経験するものだ。

それを不必要に溜めないように、日々注意しながら自分の体を守ることが大切なのだ。

吃音は治すことができる。

それには本来の自分との向き合いが必要になると考えている。

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