さて本日の投稿は、人生における「正しき道とは何か?」といういささか形而上的な内容になっている。
少し難しそうに聞こえるがなんてことはない。
人は自分自身に「正しさ」を感じられないと、どんどんと締まっていたネジが緩んでいく。
中には『もう後戻りできない』などと考えて、苦しさの渦中からずっと抜け出せずにいるほど思いつめている人もいる。
つまり、「正しき道にいる」と思えることは、私たちが私たちの人生を歩いていく上でとても重要な意味合いを持つものなのである。
そもそも、なぜ私たちは自分で自分のことを「正しくない」と評価するのだろうか。
それは私たちが人間、つまり「ホモ・サピエンス」であることに関係している。
なぜ人間がこの地球上を支配する形で進化を遂げてきたかというと、他人と「共感」してきたからだ。
「ああ、分かる分かる」と共感の波をどんどんと繋げていった結果、最終的に「文明」が生まれたり「国家」ができたりしたわけである。
個人レベルで見ても共感は、とても重要な意味を持っている。
例えば、「種の保存」だ。
私たちがこの世にこうして生を授かれたのも、変な話、お父さんとお母さんが「セックス」したからに他ならない。
つまりこの広い世界で男女がセックスして、子どもまで作るというのは共感抜きには語れないわけである。
こうして見てみると、共感というのは私たち人間が生きていく上でとても重要な要素であることが分かるはずだ。
このように人類の発展に深く関わってきた共感であるが、実は共感を意識すればするほど「自分を正しく感じられない原因」を生む。
■集団があなたを潰す
人間は、同じ価値観を共有した者同士が寄りあつまることで発展したきた。
しかし、これは「絶妙なバランス」の上で成り立っていることを誰もが気づいていない。
なぜかというと、「集団の中の価値観」と「自分が感じる正しさ」というのは必ずしもイコールではないからだ。
ここは、あなたがあなたらしさを発揮して幸せになれるかなれないかに関わっているので、強調してお話しておこう。
「同じ価値観を共有した者同士でないと、人は正しさを感じられない」
とても当たり前のように見えて実は奥が深い。
なぜかというと、人間は先に述べたように「共感力」が備わっている。
しかしここで勘違いしないでほしいのは、「手当たり次第に共感する必要はない」ということである。
そうじゃないと全く違う価値観に合わせながら『なんだか生きづらい』と感じ続けるハメになってしまう。
集団は、同じ価値観を持って同じベクトルに進んで行かない人を容赦なく「潰す」。
これは間違いない事実だ。
なぜなら、集団の目的はあなたを幸せにするために存在しているわけではなく、集団としての価値を高めるために存在しているからだ。
だから同じ価値観について共感してみよう。
それは、会社の仕事内容とか友人との趣味の話とか、そういうレベルの価値観ではなく「生き方」といった方がいいかもしれない。
この生き方を合わせていくことに、あなたの幸せの秘密が隠されているのだ。
■群盲象を評す
とある村に6人の盲人がおりました。その6人に、ある時一国の王からある問いがなされました。その問いとは、盲人のそばにあるモノが一体なにであるのかを解いてみよ、というものでした。彼らのそばにあるモノとは、「象」でした。彼らは目が見えないため、それぞれゾウの鼻や牙など別々の一部分だけを触り、それぞれがそれぞれ意見を言い合いました。足を触った盲人は「柱のようです」と答えました。尾を触った盲人は「綱のようです」と答えました。鼻を触った盲人は「木の枝のようです」と答えました。耳を触った盲人は「扇のようです」と答えました。腹を触った盲人は「壁のようです」と答えました。牙を触った盲人は「パイプのようです」と答えましらた。それを聞いた王は答えました。「そなた達は皆正しい。しかしそれぞれの話が食い違っているのは、そなた達のそれぞれがゾウの異なる部分を触っているからだ。ゾウは、そなた達の言う特徴を、全て備えている」
もし集団に身を任せることになるのであれば、仕事の内容は見た目で判断するのではなく「生き方」で選ぶことだ。