本日のテーマは、『理論と方法』である。
突然ではあるが、あなたにも『こうなったらいいなあ!』という願いがあるだろう。
なぜなら人間は常に進歩を目指す生き物であり、進歩とはつまり願いを叶えていくことに他ならないのだ。
そんな中で大きな願いも小さな願いもあるだろう。
ラーメンを食べるぐらいの願いであればすんなり叶うはずだが、起業をする等の願いであると途端に躊躇してしまう人も少なくない。
そんな時に躊躇してしまわないために、「理論と方法の法則」を皆さんにお教えしておこうと思うのだ。
まず、あなたが何かを叶えたい、こうなったらいいなと考える場合、その夢の8割はその時点で叶っている場合がほとんどである。
なぜなら、その夢というのは、あなたの想像力の中から生まれたものであり、願望成就へのだいたいの道筋を脳が無意識的に計算しているからである。
しかし多くの人はそれでも夢や願いが叶うようにならない。
それはなぜか?
それは「方法」ばかりを追いかけているからだ。
「資格を取らなければお金を稼げるようにならない」
「大学に行かなくては良い仕事に就くことができない」
分かりやすいところだと皆、夢を追うことよりもいつしか方法の奴隷になっていることに気づきはしないだろうか?
これはひとえに、日本の学校教育による弊害だと考えている。
学校教育では、一つ一つの方法を積み上げてその分野全体を理解しようとする。
例えばBe動詞、関係代名詞、仮定法…といった具合で、方法を学ぶことにより英語という学問を理解しようとしているのである。
しかしよくよく考えてみてほしい。
まず方法それ自体は、「理論」がなければ生まれないのである。
この理論というのは−−例えば英語であれば、英語という学問の習得に対して体系的にまとめた「考え方」である。
その理論という考え方を元に、方法が生まれ、それを私たちが学んでいるということになる。
つまり、私たちは理論を知るために、細々とした方法を一生懸命学んでいるのだ。
ただここで勘がいい人であれば、最初から理論を理解してしまえばいいのではないか?と思われるだろう。
まさしくその通りである。
あなたが願いごとを超早急に叶えたい場合は、方法に必要以上に固執するのではなく、「全体像」を捉えなくてはならない。
常に、自分の願いごとへの最短距離はどこなのかを考え続けなければならないのだ。
方法に固執し、延々と願いが叶わない理由は「不安」である。
まだ見ぬ世界に足を踏み入れる不安を拭うために、方法をたくさん装備してそれに立ち向かおうとしているのである。
方法は情報だから目には見えないかもしれないが、その実ものすごい量の鎧や装備を体にくっつけて歩いているのと同じことなのだ。
これでは重くて身動きも取れなくなってしまう。
方法を学ぶことそれ自体は大いに結構だ。
なぜなら、突然大きなものを見よといっても、人はその大きさに圧倒され気後れをしてしまうだろう。
ただ、自分の夢が「どうも前に進んでいない」と感じたら、方法なんてさっさと捨てて、自分の夢に関わる
「理論」がどんなものかを知る必要があるし、ない場合は常に最短距離を目指して自分で作るしかないのである。
あなたが夢に対して動き出した時に、夢の8割は叶っているが、それを完全に叶えるには木ではなく森を見る習慣をつけると良いだろう。