本日から2回に分けて、「仙人」についてお話することにしよう。
このブログを読んでいる皆さんは「仙人」と聞くと、どんなことを思い浮かべるだろうか?
「山に篭って修行をしているおじいさん」
大体はこんなところだろう。
つまり一般には仙人と聞いたところで、ちょっと凄めのおじいちゃんぐらいのイメージしか湧かないのである。
しかし、このブログを読んでくださっている方の中には『なんだか仙人って面白そうだぞ』と思い始めた人もいるのではないだろうか。
ここでは、私が仙人を始めた経緯を中心に、仙人の定義について、そして仙人になることの良さをお話していこうと思う。
■仙人の定義について
「仙人」と聞くだけで、何やら凄いことをしているように思われるのも仕方がない。
なぜなら、仙人の思想を広く世に伝えていくために、多少演出がかったオーバーな伝承のされ方がされてきたからだ。
*八仙の一人 李鉄拐を描いた仙人図
そこに描かれるのは、超人の図。
このようなものを繰り返し見させられたら、否が応でも「仙人はなんだか凄そうだぞ…」と思ってしまっても無理はない。
まあつまり、仙人は古くから人に憧れや畏敬を抱かせる「ロマンの対象」になっていたということだ。
だがしかし、そんな凄そうに見える仙人だが、誰でもなることができる。
そう、「あなた」だって仙人になることができるのである。
『私はそんな超能力なんて持ってないし、厳しい修行にも向いていないから』
と控えめなことを言う人もいるだろうが、まあよく聞いてほしい。
仙人とはただ「厳しい修行を行う者のこと」を指すのではない。
仙人はしっかりとした「目的」があって修行をしているのだ。
それは何かというと、「様々な物事から自由になること」なのである。
これは、これまでに伝えられた伝説の仙人たち皆にも共通する。
つまり、厳しい修行によって培われた超能力というのは、全て「自分をこの世の様々なしがらみから自由にするため」にあるのだ。
自由を手に入れる人、すなわち仙人になるためにまとめられた様々な修行が「仙道」としてまとめられたわけだ。
だから仙人というものをあえて定義すると、「自由人」ということになるかもしれない。
自由人というと、フリーターやニートのような存在を思うかべる人がいるかもしれないが、全く違う。
そこには「精神的な自由」がなければならず、「好き勝手やること」とは全く意味合いが違うからである。
なぜ、様々な物事から「自由になること」がそんなに素晴らしいことなのか。
それは、例えば具体的に私の経験を中心にこの後にお伝えするが、要は「生きづらさ」を感じなくなる。
「自分の人生」を自分のものでないように感じて日々を過ごしている人は、かなり多いのではないだろうか。
それはなぜかというと、「自由ではないから」だ。
社会人になって、好きなようにお金を使えて、好きなものを食べれているからといって「自由」であるとは限らない。
もっと根本的なあなたを解放することこそが、生きづらさをなくことへの、真の自由への、始まりなのだ。
中国において、なぜこのような「自由になりたい」という思想が大流行りしたのかというと、これは昨日投稿した記事を参照していただきたい。
簡単に言ってしまえば、中国は古くから侵略侵略の毎日でひと時足りとも気が休まる時がなかったのだ。
そんな環境の中であれば、「自由になることへの憧れ」が自然に沸き起こったとしても何も不思議ではない。
「仙人」の生活には、あなたの生きづらさを取り除くための秘密が隠されているかもしれない。
「自分の人生が自分のものではないように思う」と感じている人はぜひ、明日の朝に投稿する記事を読んでみてほしいと思う。
