昨日は、ヨガの教えを拝借して「体に入れること・体から出すこと」をメインにお話した。
私たちは、日々様々な食べ物を体に入れている。
その中でも、体内の大部分を占める要素である「水」に関してもう少しだけ意識されると良いだろう、というのが記事の趣旨だったわけだ。
こんな猛暑が続いているから、余計に水に関して気を配り、体を労っていただきたいと思っている。
さて、本日はそんなヨガな内容から一転して、「イライラや息苦しさを取り除く法」という、いささか大きなテーマに取り組んでいこうと思う。
イライラや息苦しさの原因は、それこそ星の数ほどあるだろう。
ここではそういう細々とした、人それぞれの悩みにフォーカスしようとするものではなく、「誰でも当てはまる」いわばイライラや息苦しさの始まりとでもいう症状に焦点を当ててみようと思う。
特にこれは現代人にほぼ当てはまることであるから、「なんだかやる気出ない」「意味もなく疲れた」「イライラ」するといった場合は、まずはこれからお話する解消法から試してみると良いだろう。
■人は思考を止めることができない
意外に思うかもしれないが、人は思考を自分でコントロールできない。
つまり私たちの思考は、他人にコントロールされているのだ。
あなたの1日を、始まりから終わりまでよくよく考えてみてほしい。
「朝起きたらテレビをつける」
「電車の中で新聞を読む」
「休憩中にスマホをいじる」
「家に帰ってインターネットを見る」
こんな具合に人は、自分意外のものに思考を預けている。
ここで皆さんに問うてみたい。
このような思考は、何か生きることに直結して必要であるだろうか?
このような思考が、あなたの人生に必要不可欠なものであるだろうか?
答えはおそらく「ノー」であるはずだ。
結論を言えば、私たちの前を通り過ぎる膨大な量の情報は、私たちの人生にそんなに重要な意味を持たない。
それにも関わらず私たちは日々情報に触れたがる。思考したがる。
それはなぜかというと「癖」になっているからだ。
つまり私たちは「思考」することで、欲求の隙間を満たし、「快感」を感じているのだ。
ここで覚える快感というのは、「自分自身で思考している」という快感である。
しかし、ここまで説明したとおり、人は自分自身で考えて動いている気になっているだけで、実は癖によって反射的に「動かされている」だけに過ぎない。
私はこの状態を「思考の貧乏ゆすり」と呼んでいる。
実はここに、イライラや息苦しさの正体が隠れているといっても多くの人はそんなバカなと思うことだろう。
本日夜に投稿する本記事の続きを読んでもらい、日々意識していただくだけで、今あなたが感じているイライラや気苦しさは少し緩和されるはずだ。